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食事療法と似てる [丁寧に暮らしたい]

 2007-10-11(Thu) 秋の行楽 通算572/573鞍目
■ちょっと遠出をして【大人の乗馬倶楽部】に行ってきた。
馬に乗りながら「柿の実が日差しに照り映えてきれいだなあ」なんて思う。
厩舎の屋根の向こうに枝を広げる柿の木にまで視線がいくようになった。
■実は、この倶楽部に何度か問い合わせ予約の電話をしているのだが一度もつながったことがない。
とうとう「一見さんお断りなのかも」と諦めていたら、再び会員の方からお誘いがあった次第。
広告もないし立地もわかりづらいところ。
絶対この倶楽部は来る人を選んでいる!と思うと、お誘いには値千金の価値がある。

■「競技会で引きつけられる不思議なオーラの正体が知りたい」で始まったビジター体験。いつの間にか自分自身の乗馬ライフを見つめ直す機会になっていた。
とにかく怖くてまともに駈歩ができなかったところから、なんとかトラウマの原因となった馬との和解をへて、それでもやっぱり駈歩が下手な自分にそろそろ嫌気が差してきていた。
いつも同じ注意。
ときどき奇蹟のように楽に乗れることもあるけれど、それは偶然の産物。
鞍数だけ増えて追い越される悲哀のみ積み重なっていく。
展望が開けないでいた。
そんな自分の姿が、別の位置からライトがあたりふむふむこんな感じなのかなと見えてきた。
ビジター騎乗のみならず、他の会員の方ともランチをご一緒する機会に恵まれて興味深いお話が聞けた。

■前回の騎乗姿をみて、私の問題点を見抜いた先生が「調馬索でしっかり見てあげる」と私の与り知らぬところでレッスンメニューを決めていたらしい。
午前中は【ローゼ】ちゃんに乗せてもらい丸馬場で調馬索。
脚が自重でだらんと下がった状態でまっすぐに座ること。
それがすべて。
私の場合、上体がそっくり返っていて、それを腹筋で支え膝で締めているから馬にはサイドブレーキをかけられた状態になっているのだそうだ。
■外側で手綱を重ねて持ち内側の腕をブラブラにして軽速歩。
前回の学び「馬と一緒に前に出る」「正しい姿勢は鐙に立った姿勢を基準に考える」が鮮烈だったので、かなり前のめり気分で軽速歩する。
「そう、ずいぶんよくなったじゃない」と言われるのと同時に軽快に立てる自分がいる。
腕も手綱もだらんとしたまま、膝だけがリズムよく動く。
「じゃあ鐙を脱いで」「鞍の前をつかむと腰が浮かないから」と言われて鐙上げ速歩。
「まっすぐ」「脚はだらんと下に下に」
何かの拍子で鞍から手が離れると
「ほら膝で締めてる!」「鞍をちゃんと持って」と声が飛ぶ。
でも、実感したのだ。
膝で締めるって膝と長靴とのわずかな隙間がつぶれて、膝の内側に長靴の革の感触が残るってことを。
これかあ…
そして、まっすぐに乗れていると座骨の感覚が鮮明になる。
半血種の【ローゼ】ちゃんは身幅が太いので座骨が右左とあたる違いがわかる。
うちの馬たちより速歩のリズムが早いのだが、
「左右にスウィングする分にはこの早さの方が乗り易いなあ」なんて考えていると
「そうそれでいい」という声。
「感じがわかりますか?」と聞かれるが、わかるというより「このリズムなら乗れる」「自分にあったBPMだ」という世界なのだ。
■駈歩になるとちょっと後ろ跳ねしたり内側に入り込んだりと調馬索での制御が難しい馬らしい。
なかなか一定のリズムの駈歩にならないが、それでも最後には駈歩が続く。
内側の座骨と脚にすべてが集まってくる感じで、これでは内側に傾いていると注意されないかとヒヤヒヤしていると、
「内側の座骨があたって外側の座骨は浮かせるつもりでいい」と言われる。
ええぇ、片足で立っているような感じでいいのか?
腰が浮かないように跳ねないように、内側に傾き過ぎないようにという気をつけていたのはなんだったのか?
「駈歩は内側の座骨で推進しているから外側の座骨をつけたら速歩に落ちちゃいますよ」
「じゃあ外側の座骨をつけてみてごらん」
内側にかなりの荷重をしていたので、いざ外側にかけるとなるとふむっとりきむ感じになる。
するとストン。
「今のが、いい速歩への移行」
「この間はchariさんがこの座骨の使い方を楽しいってやっていたんだよね」
それにしても、これまで何千回も注意されていたことが自分の身体をがんじがらめに縛り付けていたように思える。
自分がやってうまくできた感覚を再現しようするのではなしに、「〜しないで」という呪に取りつかれている感じ。
■最後の常歩では何も考えずに自然体で乗る。
「ほら、座骨がきちんとあたって推進になり拳も動かずにいるから、馬がちゃんとハミを受けて歩いているでしょ」
「馬の背中はとても敏感なんだよ」
「まっすぐに乗ってよけいなことをしなければ馬はどんどん動く」
「それを膝で締めたり、背中の上でよけいな動きをするから馬が動けなくなっちゃう」 
ううむ、その通りなんだが…

■昼食休憩をはさんで、ふた鞍目は【クレヨン】君に乗る。
前回も乗せてもらった彼は売れっ子の練習馬らしい。
「常歩で、鐙を脱いで腿を上げて股関節を大きく動かしておいて」
「その次は鐙を脱いだり履いたりする練習しましょう」
実は鐙をすっと履けない私なのだ。
「膝下を前後に動かして鐙をコツコツ蹴るようにして位置を探せばいいんです」
脚が自由になっていれば下を見なくても履けるはずなのだが、足先で捉えるのは馬体と平行になった鐙ばかり。
どうしても鐙を横向かせるためにゴニョゴニョつま先で探ってしまう。
鐙の様子をみていた先生は「脚の位置からするとあと2穴伸ばしていいんだけれど、まあそのままでいいでしょう」と先に進む。
■こちらの先生は、馬場の中央に立って部班レッスンに号令をかけるというスタイルをとらない。
何頭かの馬が馬場にでてそれぞれが運動をしている。
それらにときどき「回り方を換えましょう」とか「こちらで輪乗りして」と声をかけるだけ。
この時間の先生は、なんとホースで馬場に散水しながらみて下さる。
ホースを踏みそうなんですが〜 水しぶきがかかりそうなんですが〜 それでも馬は平気。
軽速歩は「馬と一緒に前に出る」という意識でよくなってきたらしい。
「じゃあすこしずつ馬にハミをとってもらいましょう」と言われるととたんに怪しくなる。
前を持った分を推進すればいいのだろうとぼんやり理解しているだけで具体的にどうしていいのかわからない。
「脚は使おうとするとバランス崩すから鞭使って」
「鞭でちょんちょんと当てる感じで、もう少し元気よく」
「右でも左でもいいから、どちらかを強く持って」
自分では何をしたつもりもないのだが、馬場のコーナーを曲がるところでストンと首が下がる。
どうしてこうなるの?
「ほら、拳を揺らさないように」と注意されるということは、何もぜず馬の邪魔をしないでいればハミを受けてくれるんかいな。
「そうそう、それでいい」とOKを出してもらえるのは励みになるが、何もしないことをほめられるのは居心地が悪い。
■「次、駈歩しましょう」
外方脚を引いておいて内方脚をポン使うだけで駈歩発進してくれる。
こんなに簡単に駈歩がでるなんて、これまでの後ろ回し蹴りばかりしていた日々は無意味だったのかと虚しくなる。
駈歩って特別なものではないと感じさせてくれる軽やかさ。
先生は細かい号令や注意はしない。
発進時に「手があがっているよ」と注意したり「こっちで輪乗り」「馬場を大きく回りましょう」と声をかけるだけ。
後は馬と私の2人だけにしてくれるから駈歩を十分に味わえる。
馬がなんとなくホットな状態になってくると「こちらで小さめの輪乗りをして」とか「軽速歩して」とか必ず声をかけてくれる。
どうしようと焦る前に指示が出てその通りやっていると問題が解決してしまう。
うるさいことは言わないのに、しっかり見ていて必ず助け舟を出してくれる。
ものすごい安心感。
あれこれ地上から注文をつける割に、いざこちらがパニックになりかけると何も言わなかったり「それ見たことか」と声を荒げる過去のインストラクターとは次元が違う。
この馬場の中なら何をしても大丈夫と思うと本当の意味で緊張が解ける。
駈歩しながら照柿の秋を愛でる。
そして、自分では何をしたつもりもないが内側の座骨と脚にすべてが集まっているなあと思うと【クレヨン】君の首がストンと下がる。
ええっ? 乗り心地が変わった。
すぽーんすぽーんと弾むような感じになる。
私は弾む馬の一番高いところにじっとしているだけ。
馬が頭を下げて駈歩するとこんなに楽になのか〜 もう、薄々気がついていたけれど…
詳しい解説付きのレッスンでもないし、何をしろという指示もほとんどない。
必要なことは馬から教われというスタンスらしい。
「この前より格段によくなってますよ」とありがたい励まし。
そして「人が楽に乗っていれば、馬だって楽に走れるんだ」という至極当たり前のことを再認識させてくれた。

■この日乗りに来ていた会員の方とランチを食べながらおしゃべりをした。
遠くから泊まりがけで通う会員さんが奇しくも言っていた。
「先生はどこからか必ず見ている」
「無理なことは絶対させないから、やってごらんと言われれば安心してやれる」
私も似たような印象を持ったのだ。
ここでなら安心と思えた時にはじめて緊張から解放されて、馬と一緒に楽しめるようになるんだろうなあ。
■【大人の倶楽部】の秘密は〈信頼〉にあった。
自分や馬をまかせて大丈夫と思える環境とそれを維持する管理力。
あれこれ細かく言わないが、目配りはされていて必要な時には必ず手を差し伸べてもらえる安心感。
こういう所にいれば、素の力が無理なく発揮できるだろうなあ。
今回のビジター騎乗では、何重にも取りついている「できない」という呪が一時的に解かれた状態を経験させてもらえた。
自分のクラブの日常に戻った時に、何から始められるだろうか?

■これまでの600鞍近くを「〜をしないで」と言われ続けてきたように思う。
そして自分自身でも「何とかしなくては」と必死になってきた。
なんだかこれって食事療法に似ている。
「塩分控えめに」「カロリー制限」etc.
本来、命を養い大きな楽しみとなるべき食事なのに、厳しく制限されるとかえって混乱し療法が守れなくなる。
そんな自分を情けなく思うあまり自暴自棄になったり、扇情的な健康食品の広告にのせられたり…
どんなに理想的な食事をしたところで、1回だけでは身体に大きな変化はない。
日々3食の積み重ねが、健康を維持し身体をつくる。
乗馬もそうかも。
ダメダメと言われ混乱した中では、理想と程遠いバランスや扶助を繰り返すだけで、それがその人の日常的な騎乗スタイルとして定着してしまう。
高いお金を払ってクリニックに行っても、その時は理想通りになるかもしれないが、帰って来てその影響が薄れるにつれて元通り。
■食事療法を上手く続ける基本は、周囲の人がうるさく指摘したり説教したりしないこと。
どんな食事が効果的なのかなどの基本的は知識は提供するが、やるのは本人。
そして解決策は本人の中にしかない。
理想像を押し付けるのはナンセンスなのだ。
その人が自分なりのゴールを設定し、自分に自信を持って、必要な時には援助を求め自分で決断し実行する。
できることしかできない。 
できることが熟達するとそれを足がかりに新たにできることが増えてくる。
長い期間での成長を見守ることが大切。
■今の私は、自分にできることをしっかり味わって熟達できるように努めているか?
「できない」「うまくいかない」といらだち、大切な馬や自分自身を傷つけていないか?
何とかしなくてはと焦ることで馬との繊細なコミュニケーションを阻害していないか?
部班にあわせる、インストラクターの教え方に応えることが、絶対なのか?
自分の心の持ちようなのだ。
「下手くそ」とできないことを嘆くよりも、「こんな私にもできるようになったこと」を楽しみつつ、それをさらに磨くことに力をいれるべきなのかも。
そう思えるようになった。




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