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福袋ふたたび [丁寧に暮らしたい]

 2008-01-20(Sun)
■昨年のお正月、開店前に到着していながら行列に並び損ねて福袋を逃した痛恨の事件以来、運にまかせる買い物は止めようと誓った。
馬具屋の福袋には手を出さなかったしセールだって(忙しくて…)行かなかった。
それなのに、とある馬具屋のHPを見ると欲しかったキュロットがほぼ半額セール中。
SSとかLLなどの人気薄サイズが残ってセールになっているわけではない、標準サイズもあるではないか。
ふと見るとアウターの「ハッピーバッグ」のお知らせも…
これならわざわざ出かける手間がいらないし、送料負担もない。
いったん冷めたギャンブル熱が再びかき立てられる。
■「ハッピーバック」に失敗しても、キュロットを正価で買うより安くつく。
こうなれば、「さあ行こう!」

■17日に注文を出して本日到着。
アウターのハッピーバック(福袋)は、ほとんど期待せずに箱を開けると…
えんじのブルゾン、プレスサーモ(人体からの水分を吸収し発熱する高機能繊維)のアンダー、何とも言えないTシャツにお店のロゴが入ったキャップ。
値札の合計は、6万円弱。
「ふーん」とブルゾンを手に取ると、ふたつの山を針が貫いているロゴ。
あれっ、これってアレキサンドロ・アルバネーゼ?
あのイタリアのおしゃれなブランドの??
いいのでしょうか、AAを福袋の中に入れて。
何年か前にこの馬具屋のカタログの表紙を飾った、あのえんじのブルゾンだった。
■着てみてびっくり。
かっこいい! シルエットもラインの入れ方もファッショナブルである。
あらら、アウトドア系のカジュアルさや制服系の堅苦しさとは違った乗馬ウエアがここにある。
あまりにも高価なので選択肢の中には存在しなかったのに、福袋のお陰で今や私のものだ!
■小市民のささやかな幸せ。
今年の買い物運は、かなり良いのかも。

関連記事:『並ばなくちゃダメだよ』:去年の苦い思い出


リベラ・メ [丁寧に暮らしたい]

 2007-10-23(Tue)
■「Libera me. われを解き放て」とこの世の重荷から自由になった馬がいる。
【主席】が21日の日曜日夕方に亡くなった。
元気になってきて軽い運動も始めたところだったのに…
黒砂糖をあげて首筋をなでた木曜日が最後になってしまった。

■「心が疲れてしまった」と先週末からクラブに行く気にならなかった。
月曜日もいつになくグズグズと出かけると、休日にしかお目にかからない男性会員の方がスーツ姿で花束を持って車から降りてきた。
「ふう〜、今日も気持ちのいい秋晴れだなあ」なんて空を見上げて深呼吸をしていると、声をかけられた。
「【主席】が昨日亡くなったんです」
凍り付いてしまった。
「まさか…」
「昨日の5時頃亡くなって、それで今日家にあった花を持ってきちゃいました」
頭の中にいろいろなことが駆け巡る。
クラブの駐車場に入る時にスタッフが揃って歩く姿をいぶかしく感じたのは、あれは遺体搬出の最後のお見送り直後だったのか…
なぜ私はいつも通りの時間にこなかったのか、そうすればひと目でも会えたかもしれなかったのに。
なぜ、週末にいつものように様子を見に来なかったのか。
限りある命とは知っていたし無理矢理つなぎ止めてはかえってむごいとも感じていた。
でも「ああ、ひと安心だわ」と感じた矢先に、すり抜けていってしまった。
■その場から動けなかった。
レッスンのために来たのに、予約してありスタッフも馬も待っているのに、【主席】のいない馬房を見るのが怖くて。
「今日はダメです」と逃げ帰ろうとも思った。
迷ったあげく「私を乗せて教えてくれた恩義に報いるのは、乗って上手くなるしかない」と自分を叱って馬場に向った。
今は何も見ない、何も聞かない、涙が止まらなくなりそうだから。

■レッスンも終わりお昼を過ぎて、【主席】ゆかりの人達と馬房に置かれた祭壇に手を合わせる。
日曜日は朝までは食欲もあり元気だったのが、昼前から調子を崩したようだった。
獣医さんが呼ばれて鎮静や点滴の処置をして「とりあえず」と様子を見ているうちに、この世の全てから解き放たれていった。
呼吸が止まった時もちゃんと見守られてひとりではなかった。
最後のケアもスタッフに丁寧にしてもらえたらしい。
形見のたてがみは、きれいな三つ編みに束ねられていた。
■顧みる人もないまま死んでいく馬たちがいる現実を考えれば、老いて大事にされ病んで看病され死んで弔われる馬は幸せなのだと思う。
「これ以上寒くなって節々に来るのはかなわん」と旅立っていった【主席】を見送る私は、悔やむことも嘆くこともない。
ただ、振り返っても彼がいないことが寂しい。
たまらなくさびしい。

………… 関連記事 …………

2007-09-03 : 死の影は去れり
2007-08-25 : 小康状態
2007-08-06 : 猛暑に耐えて
2007-06-29 : 虹の橋
2007-06-28 : 翁と媼
2006-05-04 : 06年の活躍
2005-11-03 : 幸せなレッスン
2005-09-07 : 病み上がり
2005-09-05 : 最高の贅沢
2005-05-26 : 手綱・鐙なしでも
2005-05-05 : 駈歩恐怖からの脱出


食事療法と似てる [丁寧に暮らしたい]

 2007-10-11(Thu) 秋の行楽 通算572/573鞍目
■ちょっと遠出をして【大人の乗馬倶楽部】に行ってきた。
馬に乗りながら「柿の実が日差しに照り映えてきれいだなあ」なんて思う。
厩舎の屋根の向こうに枝を広げる柿の木にまで視線がいくようになった。
■実は、この倶楽部に何度か問い合わせ予約の電話をしているのだが一度もつながったことがない。
とうとう「一見さんお断りなのかも」と諦めていたら、再び会員の方からお誘いがあった次第。
広告もないし立地もわかりづらいところ。
絶対この倶楽部は来る人を選んでいる!と思うと、お誘いには値千金の価値がある。

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大人の倶楽部 [丁寧に暮らしたい]

 2007-09-23(Sun) 秋分の日
■3連休が続く秋の行楽シーズン
「今度、外乗に行ってきまーす」との楽しげな声もちらほら聞こえてくる。
怖がりの私は、知らない場所で知らない馬に乗るのは気が進まない。
ところが「行きませんか?」のお誘いを受けて、「もちろんっ!」と飛びついたビジター騎乗があるのだ。
競技会を見に行って、そのたび不思議なオーラで引きつけてやまない、とあるクラブ。
そのクラブへのお誘いを受けたのだ。
■早朝、待ち合わせをして車に乗せていってもらう。
何気ない市街地から横道に入って「えっここを曲がるの」と驚くような道をいく。
教えられなければ決してたどり着けない【ポーの村】のような場所だった。
■よその乗馬クラブにお邪魔するのだから、なんとなくドキドキする。
競技会での不思議なオーラの正体はどこにあるんだろう?
素敵な馬や先生のホームグラウンドはどんな様子なんだろう?
そんな場所に自分が身を置いて、しっくりくるんだろうか。

■馬場を囲むようにして、オフィスや馬房やパドックがある。
こじんまりしているからひと目ですべてが見通せてしまう。
馬場に枝を広げるケヤキがある。
いいなあ、緑陰を感じて馬に乗れるじゃないの。
レッスンやスタッフへの指示で八面六臂の活躍をしているクラブの先生。
挨拶もそこそこに「どうぞ、好きなところ見ていって下さい」
うわぁ、私が秘密を探りにきたことをご存知ですな…
「今日はあの馬に乗るから」
「いま乗っている人が終わったら、レッスンしますからね」と言われ、馬場に目をやると、なんだかきれいな人が乗っている。
先のベストドレッサー賞にしても、洗練された美しい方が多いような気がするんだが…
ここを紹介して下さった方も美人だし、垢抜けないおばさんは肩身が狭い。
■鞍や長靴の準備をしているうちに乗りかわりの準備が整う。
「どのくらい乗ってますか?」の問いに
「180鞍ぐらいです」←(おばさんは人の鞍数の3分の1の実力しかないから、ウソの申告をしているわけではない)
「駈歩がとっても苦手です!」と強調しておく。
「この馬は拍車がなくても大丈夫です、ただ手綱はぎゅっと持たないですこし前を楽にして乗るようにしてください」
「止まる時になかなか止まらない、口が粘っこいんです」
「それ以外はとってもいい馬なんですよ」と【クレヨン】君の特徴を紹介してくれる。
■引き馬にしても騎乗手順にしても、どんなに気取ったところで普段のやり方が出てしまう。
クラブをのぞきに来たつもりだったが、馬に乗ってしまえばこちらのこともすべて伝わってしまうのだ。
「怖がりでどんくさいおばさんだ」と言わずともわかってしまう。
常歩、軽速歩をしてみる。
「緊張してカチカチですよ、力抜いて」と声が飛んでくる。
0から10までの緊張度で言えば3程度のはず。
自分のクラブで久しぶりに配馬される馬に乗る時の緊張度とさほど変わらないのだが、それでも固くなっているのが傍目からわかるのか?
「もっともっと力抜いて」と続けざま言われる。
もー「緊張を解け」という指示は難易度の高い指示なのだよ。
しかし【クレヨン】君が気持ちよく一定のリズムで動いてくれるので、こちらもだんだん調子が出てくる。
■手綱を緩めたままで軽速歩を続ける。
と、「なんでそんなにそっくり返っているの」
「もっと前傾して」「もっと前」「また倒れてきちゃったよ」と声がかかる。
これまでさんざん前傾しないようにと注意されてきただけに、びっくり。
「こっちきて」
馬場の中央で馬を止めて、先生の傍らで説明を聞く。
「速歩と軽速歩の時の姿勢は違うんだよ」
「ほら、鐙に立ってごらん」
「ずいぶん鞍の前にきているだろう」
「ここが自分で無理なく立てる位置なんだから、それより後ろで立つには手綱につかまるとか、馬の動きを利用しているとかしているはず」
ううむ、確かに〈動きに取り残される〉感じは頻繁にあったなあ。
「膝の屈伸運動だけでいいんだよ」
「ほら、よけいなところに力が入るから、膝が鞍から離れちゃう」
「膝下でつかまったりしない」
「膝から上の腿の部分が土台、膝から下はスイッチを押すために自由自在に動かすところだよ」
駈歩の影に隠れて見落としがちだったが、軽速歩でのわずかな〈取り残され感〉とか〈リズムに乗り切れない感じ〉は、やはり馬の邪魔をしている証拠なんだなあ。
鐙を1穴短くしながら、正しい脚位置の説明も入る。
「膝とつま先と踵で作る直角3角形と、お尻の付け根と膝裏と踵を結ぶ3角形が(きれいに)並んでなきゃ」
「脚が後ろに行けば、ほらきれいな三角形にならないだろ」
「じゃあ、手前を換えて続けて」
ようやく馬場を回る感じにも慣れてきて、蹄跡から内側に入らないようになんて邪念も出てくる。
と「また後ろに倒れてきてる、もっと前」
「ほら、前に」とご注意が飛ぶ。
「じゃあね、手綱は伸ばしてしまっていいから片手にまとめて持って」
「空いた手を前にまっすぐ伸ばして」
おお、腕が前に伸びると重心も意識も「前に」出ていく。
私は馬と「前に進む」という意識を共有していなかったのだ。
動いている【クレヨン】君に取りあえず乗せてもらってますという荷物意識だったなあ。
違う視点で見てもらうと、普段埃をかぶっているような部分に光があたる。
面白いなあ。
■「じゃあ次、駈歩やってみましょう」
「おーい調馬索持ってきてくれ!」
「じゃあ、駈歩の合図出してみて」
こう言われると、固くなって構えてしまうのを自覚する。
内方姿勢を取って〜外方脚で合図して〜 もたもた〜
でもなんとか発進してくれるが、取りあえず乗っているだけで精一杯。
「輪が小さくなってきたから、もっと外に出して」
「鐙脱いでみよう」なんて言われたとたん、速歩に落ちる。
再度発進させる時には「左(内方脚)でちょんと」なんて言われると、頭の中は大混乱。
ええ?どっちのこと?
「並足からでいいから落ち着いて」なんて言われて何度かやっているうちに、ようやく「はは〜ん、ここの馬は内方発進で出るんだ」と気がつく。
外方脚をまず引いておいて内側の脚をちょん、おお、ちゃんと発進するじゃないの。
ありがたし。
でもいつものことながら、駈歩する馬に何とか乗っているのが精一杯。
「う〜ん、人の動きが馬と逆になっているんだよなあ」
「腰が固いというか」
ええぇ、乗り難いなあと感じるのは、推進が足りないとか拳が一定になってないなどの馬の走らせ方の問題じゃないんですか?
速歩の正反撞についていけなくて馬から転げ落ちそうな状態と同じってことですか?
反撞が抜けなくてドカドカ乗っている時には、推進も何もあったものじゃない。
それと同じってことなのか? 発想の転換を迫られる。
「調馬索で小さくやっているからやり難いってこともあるから、じゃあ自分で駈歩やってみて」
駈歩出るかな?といつもの心配が杞憂に終わる。
【クレヨン】君、ありがとうね。
「うん、右手前の方がまだましだね」とコメントいただく。
「内方の手綱がきつくならないように」
「内側の座骨に乗って!」
「(輪乗りから)そのまま、まっすぐ前に」
「またここで輪乗りして」
自分に課す要求水準は低いので、はじめて乗った馬に駈歩をしてもらえればそれだけで幸せになる。
うふふ、駈歩しているよ〜 楽し〜い
「はい、じゃあ速歩に落として、手綱楽にして2周軽速歩したら常歩にして終わりにしましょう」
■記念すべき外部レッスン。
普段と違う経験ができた。
思っていた以上に先生から受けるパワー(良い意味でのプレッシャー)が強かった。
怖いとか細かいというのではなくて「持てる力はすべて使ってごらん」という無言の圧力を感じる。
真剣に通うとすれば、十分に応えてくれるレッスンになるだろう。
■このクラブは、こじんまりしている馬場だけど、パドックの向こうには遠くまで見通せる畑が広がっているし、ケヤキの下を通る時にはちょっとした外乗気分になる。
それでいてすぐ近くで先生やスタッフが他の馬たちが見守っているという安心感。
馬を使って組織的な利益を得る施設ではなくて、乗馬のために個人が管理できる範囲で作られたクラブなんだなあ。
馬場の砂、厩舎の敷料にいたるまで管理者の意識がすみずみまで行き渡っているということか。
乗馬クラブの経営のありように翻弄されてきた【よちよち乗馬クラブ】会員としては、うらやましい限りである。

■馬にも乗せてもらってあちこち見せてもらって最後に「どうでした?」と聞かれた時、「馬がみんなかわいいです」という表現しかできなかった。
馬が痛ましく見えるクラブの対極にあるということなのだか。

■私は普段、初対面の馬と接する時はいきなり体に触ったりせずに、まずは手の甲をそっと差し出す。
たいていの馬は鼻の穴を広げてフーガーと匂いをかいでくれる。
ニンジン等の食べ物を持っていないとわかるとプイと背を向けるものもいる。
さらにあちこち真剣に匂いをかぎたがる馬には、今度はこちらからもクンクンしてみる。
この間にどこまで近づけるかで、馬との心理的な距離がはかれる。
私に興味がなかったり関わりを嫌がる馬は、すうと離れていってしまうのだ。
ここの馬のほとんどは、「何?だれ?あそんでくれるの?」とどんどん近づいてくる。
頬ずりをせんばかりの馬もいる。
君たち、社会的な存在としてちゃんと向き合ってもらっているんだね。
そして「馬としてかわいがられている」というプライドがあるね。
■クラブには、犬や猫や金魚にメダカと生き物も数多くいた。
行き届いた世話をされている様子。
ああ、このクラブの人達は生き物が好きなんだなあ。
どの子たちも、存在としての価値を認められているんだなあ。
経験の浅い私には、クラブの馬の程度とか馬匹管理云々はまったくわからない。
でもこのクラブは、存在の価値を認められて人への基本的な信頼をもった馬たちがいるのだということは、強烈に伝わってきた。
■馬の信頼に応える人間でなくては、このクラブではやっていけないらしい。
幼い人お断り。
大人か大人になるべく努力している人の乗馬クラブなんだ。
うーん、競技会での輝きはこんな環境から生まれてくるのだろうか。
謎は深まるばかり、不思議だ〜。





お道具 [丁寧に暮らしたい]

 2007-09-11(Tue)
■2005-12-12 (226鞍目) から履き始めた長靴
馬場が泥沼のときはジョッパーブーツにチャップスを選ぶが、ほぼ300鞍以上はこのブーツのお世話になっている。

■昨日の豪雨に打たれて靴墨が流れたためか、普段より革長靴の色落ち部分がくっきりと目立つ。

正しい脚が使えているか否かをブーツが語る。

■じっくり観察するとわかるが、ついこの間までつま先を開いて鐙を踏む癖があったので、ふくらはぎの後ろ部分がたっぷりと白くなっている。
あれまあ、恥ずかしい限り。
しかし、ふくらはぎの真横部分にも別の白い領域がある!
これぞ正しい脚位置で長靴をつかっている証拠か ?!

■乾かして、靴クリーナーで残っている汚れや靴墨をすべて落として、再度靴墨を塗りからぶきをする。
ストッキングを丸めたものできゅっきゅっと磨くとピカピカになる。

こうなると脚位置うんぬんは判別不能。
下手がばれないようお手入れは頻繁にする必要あり。

■ちなみにマイ鞍は、2005-08-01 (172鞍目)から使っている。
もう380鞍も乗っている立派な中古品である。


ひとりごと [丁寧に暮らしたい]

 2007-07-15(Sat) 
■何かを続けていく時に、メンタルコンディションマネージメントって大事だと思う。
「うわっ楽しい」「上達したい」「この次はこんなことやってみよう」
「がっかり」「もうダメ」「情けない」「何とかしなくては」
「できたっ」「すごく幸せ」
「こんなに頑張っているのに」「アホらしい」
「でも、可能性があるなら」「やっても無駄かも」
「あの人がねたましい」
「自分のやっている事に意味があるんだろうか」
「私のやっている事が人の迷惑になっているとしたら」
「やめたら何が残るんだろうか」
■どんな〈思い〉もあっていい。
いろんな感情をそれぞれの場面で味わいながら、消化して自分の身としてけばいい。
落ち込むのも長い道のりからすれば、順調な経過のひとつ。
■前に進むエネルギーってどこからくるのか。
単純に、そこに馬がいるから乗らずにはいられないだけ。
上手くいっている時は、「思えば遠くに来たもんだ」って来し方を振り返る。
上手くいかない時は、順列組み合わせを考えるようにすべての条件を徹底的に洗う。
そして、忘れる。
すると進むべき方向がなんとなくわかるから、あとは足元だけを見つめて歩く。
一番つらいのは、進むか退くかに迷うとき。
でも、どうしたらいいかの答えは自分の中にあるのはわかっているから、何かにポンと背を押してもらえればいい。


乗馬クラブの風景 8 [丁寧に暮らしたい]

 2007-07-10(Tue)
■馬に乗るためにいくクラブだが、馬以外にもいろいろある。
「知らないでいることが一番よかった」と言ってしまう自分を振り返って…

■クラブに通い出した最初の頃、判別できるのはフロントと担当インストラクターのみ。
どんな職種の人がいて何をしているかなんて、知る由もなかった。
ましてや会員の見分けがつくはずもない。
ひとりで行くから、
「こんにちは」「おつかれさまでした」と声をかけられるだけで嬉しかったし、
上手そうな人達が「新作のベスト買ってみたら〜」などと楽しそうにおしゃべりしているのを聞くと、それなりのコミュニティがあって新参者が気安く加われるものではないとわかった。
■新顔でも別のクラブから移ってきた方もいれば、まったくの初心者もいる。
だから、似たような境遇の人を捜す手だては服装。
ジーパン等をはいていたら、まだお試し期間中。
地味な色の無難なキュロットをいつも同じようにはいていたら、多分同類。
雑誌の広告にあるような新作のキュロットをはいていたら、
かなりこの世界に馴染んでいる先輩。
上から下までハイスペックな新品で固めていたり、どう見ても無理な色とかデザインを身につけている方は、馬に乗ることより馬に乗っている自分を愛しているのだと解釈して、あえて近づかない。
とまあ、似た者探しが大変だった。
■長く続けているうちに、見知った顔も増えそれぞれの事情も飲み込めてくる。
ちなみに同じビギナークラスで親しく話ができるようになったのは、入会してから3ヶ月後ぐらい。
フロントで馬具を注文する以外に、
馬具屋のセールで安く手に入ると教えてもらったのは入会後1年以上経ってからだった。
この頃になるとクラブの先輩とも話ができるようになり、
いずれ少しずつ揃えていくべき馬具や服装のことも教えてもらえるようになった。
わがクラブの状況では、インストラクターから強制的な馬具のセールスはないので、気がつくといつでも借り物状態ということもある。
ヘルメットとブーツ(チャップス)とキュロットは、入会して今後継続していこうと思った時に購入。レンタル馬具と同じものを注文した。
○駈歩クラスに進級した段階で、短鞭を購入するよう言われた。
○初級クラスに進級した段階で、豆拍車を購入するよう言われた。
○鞍は、正反撞速歩の練習をするようになってから購入する必要性を感じた。
買うまでに教官の自鞍に試乗させてもらって乗り心地の差を実感。
それでも、高価な買い物ゆえ「この先続けていく自信があるのか?」と悩む。
しかしいったん買うと「続けざるを得ない」と積極的投資に傾くようになる。
○馬具屋のセールで冬用のジャケットやお手入れ道具など堰を切ったように購入。
福袋なるものの存在を知り、馬具=敷居の高い特別なものという感覚が失せる。
ゼッケンやパッドなどにもこだわりが出てくる。
○部内競技の練習が始まるころから、競技会に必要になるものは少しずつ揃えた方がいいと言われ気になり出す。
革長靴などは直前に慌てて買うと、はき心地がしっくりこないという話を聞きオーダー長靴にあこがれる。
馬場をやるなら筒型の長靴が規定なのだが、甲の低いひれのような足を持つ私は迷わず編み上げにしてもらう。
ショージャケットは、周囲の方々を見て考えた。
最初は借り物でいいと言われるが、サイズが合わずどう見ても情けない姿はバツ。
ばっちり決めてとオーダーでジャケット作っても、高価すぎて雨が降ったらもったいなくて着れないのもバツ。
将来的にはきちんとしたジャケットを手に入れるとしても、最初は海外通販の安物でいい。
雨の日泥の日用の予備ジャケットして今後も使えるし…
ハットは、初級クラスの競技はポーラーハットなのだと聞いていたがカタログには見当たらない。
老舗に行けばわかるかもと出かけたら、雰囲気に呑まれ気がつけば英国製の高価なトップハットをお買い上げ。
日本人の頭にあわないハットをどう調整するのかと懇切丁寧に教えていただいたゆえ、断れなかった。
ちなみに調整方法とは、
前後に長いハットは、横幅がきっちりあうものを選ぶ。
帽子はひとつずつ微妙に違うので試着して決めるのがベスト。
前後のグラつきは、帽子の内側に縫い付けてあるリボンの隙間に薄いスポンジを入れて調整する。
あらふしぎ、ハンカチサイズのパットをおでこの部分に入れるときゅっと締まって、頭を振っても落ちなくなる。
後ろは開いていても大丈夫。3点固定で問題なし。
男性は敬礼で脱帽するから、パッドは縫い付けるとか貼付けるなどの固定が必要かも。
細々した小物までいれたら結構なお買い物になる。
○ようやく一通りそろえて今後は高額な出費はないと安心していたら、最初に買ったショートブーツやチャップスにほころびが…
いやはや、振り出しに戻れってことか。






競技会をまるごと楽しむ [丁寧に暮らしたい]

 2007-06-16(土)&06-17(日) 県民総体&国体県大会
■今回はご縁があって、県大会のまるごと2日間全競技を楽しむ経験ができた。
競技会観戦(参加)5回目にして、ようやく競技会の全体像がわかってきた。
これまでは、関心のある人馬の競技のみを応援して「では、お先に」と帰るパターンだっただけに、第1競技から最終競技まで見届けて「やったぜコンプリート!」と妙な達成感。
しかも、競技の裏方をちらりと垣間見る機会があって、これまたびっくり。
「今後は、審判に心を込めて敬礼しよう」と思うようになった。
■馬場馬術、障害飛越の両競技を、初級者クラスから国体予選クラスまで通して観ると、ひとつひとつ積み上げて難しくなっていくというのがよく分かる。
120cmの障害を見て「こんなもん飛べるわけがない」と思うのではなくて、
「今やっているクロスバーの練習がこの高さに繋がっていくのだ」と素直に思える。
■競技会では「いかに正確に優美に、より高くより速く」が求められる。
これは馬に乗れることが大前提。
水泳シンクロが、水を怖がらず自由に動けることが前提なように。
何の苦もなく上達の階段を上っていく方々は、
「馬や水を怖いと思う経験をせずにすんなりと来たのだろうなあ」と
ひらりと障害を跳び越える年若い人の姿を見て思った。
駆歩する馬に乗るのが怖かった私は、階段の一段目が登れなくて苦労しているわけだ。
競技会の中級上級クラスの高みから見下ろすと、高層ビルから地上を眺めるようで
「一段目が登れないなんて論外!」というより「離れ過ぎて気が付かない」
競技会でいい成績を出す指導員が、初心者やトラウマ経験者を上手く教えられないのは当然なのかも…
なんてことも、ふと考えたりする。
■そして、今回一番驚いたことと言えば、
「競技会とは、なんと大勢の労力で支えられているか!」
障害競技は、競技ごとにコースデザイナーが障害間距離を測り高さを測り障害を組んでいるのだ。
あの長い棒や大きな箱やフェンスをひとつひとつ人が運んで動かしている。
走行中に障害を壊してしまえば、すぐに走りよって組み立て直し馬場を整地する。
落下のみならずバーに肢をあてただけでも次の走行前に確認をしている。
炎天下や雨の中でも、最後までつとめを果たさなければならない使役の人達。
また、審判もストップウォッチで時間を計っているだけと思っていたのに、
3人以上が細かく走行を見守っている。
競技結果の集計にはさらに多くの人手がかかって、ジャッジシートや結果一覧表が各クラブに渡るようになっている。
選手にとっては、馬場で長くても6分間、障害なら1分以下で終わってしまうので「たったこれだけなのに」と思えるかもしれないが、
「あなたのかけがえのない瞬間のために、多くの人の労力と集中力が注がれているのだ」とわかると、
この競技を支えてくれる方々を代表して、審判に心を込めて敬礼するのが礼儀というものだと思えてきた。
ついその次の経路のことで頭が一杯で、形ばかりの敬礼になりがちな自分を反省した。
■選手の立場からしても、競技会は馬や人の準備で手がかかる。
しかしそれ以上に競技会運営にも手間暇がかかっている。
馬術って、本当に贅沢。
だからこそ、競技会を楽しむ心のゆとりが大切なのかも。
(馬場外から怒号を浴びせるのは、やめてほしい…)


オーバーホール [丁寧に暮らしたい]

 2007-06-02(Sat)
■私はひどい喘息で、死なないために大量の薬を長期にわたって使っている。
抗原暴露を減らすためのマスクなのに、花粉症の季節が過ぎるとひとりだけマスクをつけているのが恥ずかしくなる。
ついマスクなしで馬の手入れをしたら、てきめんに体調悪化。
これだけが原因ではななく、蒸し暑さと肌寒さが交互にやってくるこの時期の天候も多いに関係がある。
とにかく日常生活を送る限界線を突き破ってしまった。
血中の酸素濃度が減ると身体が動かせなくなる。
「どうして何もやる気がしないのだろう」
「やらなくちゃいけないのに、おっくう」と昔は自分のぐうたら加減にあきれかえっていたが、いまでは自覚的酸素濃度モニターと看破した。
■低迷を続けるPF(ピークフロー)に対して、主治医と相談してステロイドをドンと内服することにした。
「いったんリセットして、また維持療法に切り換えればいいから」
恐るべしプレドニン。
PFはあっという間に自己ベスト値になり、気道粘膜の腫れがひいて嗅覚が3年ぶりにもどってきた。
くん、くん、くん。
わずか10日足らずの匂いの世界。今のうちにいろいろ嗅いでおこう。
猫の肉球、バラのつぼみ、洗濯物、ダージリン
血中酸素飽和度が98%近くまで上がると信じられないくらい活動が楽になる。
世界が明るい、頭すっきり、歩くのも走るのも自由自在。
健康な皆さんはいつもこんな感じで動けるんだなあ〜、いいなあ。
■効果はあるが反動も大きい治療。
全身に水分を抱え込んで体重が激増。脳みそが浮腫んで眠くて死にそう。
ニキビが増えてシミも濃くなる。
抵抗力がなくなるから、ひっそり潜んでいた感染巣が暴れ出す。
私の場合は、虫歯まわりと副鼻腔炎、中耳炎。
治療を強化して普通に暮らせるレベルにもどすことを目指したけれど、あちこちぼろが出てきて困った。
■「調子悪くなるなら、馬も猫も諦めるべきかも」と時々考えるが、
大量の薬でコントロールしてでも走れたり馬に乗れたりできる今の人生の方が、半分窒息しかけで生きているよりQOLが高いのだ。
贅沢なことである。
こうやって手に入れたエセ健康生活、世のため人のために使わないと罰が当たる。


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